【衝撃の結末】私の看護師1年目体験談

看護

こんにちわ!
もうすぐ4月になり、あたらしく新人さんが入職されますね!
みなさんは入職して1年目はどのように過ごされていたでしょうか?

たくさんのことを学ぶ、経験する1年目だからこそ、たくさん印象に残ったことがあるかと思います。
今回は私の1年目の看護師生活をご紹介します。

入職した病院は都内の中規模病院で、腎臓内科を主とした内科病棟に配属しました。
私自身も内科を希望していたので希望が通ってよかったかなと思います。
そして、まさかあんなことになろうかと・・・

でもなんだかんだで「大変だった」と同じくらいに「楽しかった」と思えた日々でした。
では、どうぞ!

・初めての一人暮らし

学生時代は実家から学校に通っていまして、卒業後は病院の寮に入り一人暮らしを始めました。

都内の就職先であったので、基本的には電車、または徒歩・自転車での移動がメインとなりました。
実家にいるときは車での移動がメインだったので、慣れるまでは少し大変でした。

引っ越ししてすぐに「東京と言えばスカイツリー」と思いまして、自転車でスカイツリーを見に行き、一人で最上階まで登って夕陽を眺めてかっこつけていました(笑)
片道1時間とかでしたので、ようやったなと今では思います。

さて、仕事が始まってから最初の困難にぶつかります。

・仕事と家事と勉強

仕事が始まってから大変だと思ったのは

「仕事をしながら家事をして、勉強の時間を捻出すること」

でした。

一人暮らしなので当たり前ですが、今まで実家で生活していた人間ですので「家事」という壁にぶつかりました。

仕事が始まった1か月くらいは頑張って早起きして、朝から米炊いて弁当作って、夜も自炊してみたいな生活を送ってました。

先輩からは偉いねーみたいな感じで褒めてくれましたが、正直限界!
勉強の時間もなく、自分の時間もなく苦痛だったことに気づきました。
当時の病棟もマンパワー不足で新人ながらも日勤で16人持ちだったりリーダーをやらされたり・・・
定時過ぎてから「よし、ようやく記録がかける」みたいな状況でした。
いつもいつも家に帰れるのは22時とか。
今考えるとまじで頭おかしい。

そこでどうしたかというと・・・

・家系ラーメンにどっぷりハマる
 仕事終わりに家の近くのラーメン屋に行くことが増えました。
 魔法の言葉「味濃いめ油多め麺普通 ほうれんそうトッピング ライス大盛」
・弁当は冷凍ご飯とお茶漬け
 休日に冷凍ご飯をストックしておいていつもそれだけをもっていきました。
 さらっと食べれて楽だし腹持ちもそこそこでした。
・勉強は15分だけ
 当時ダークソウルみたいなフロムゲーにハマっていましたのでなんとかゲームをやる時間を確保するために勉強は15分だけがっつり集中してやってました。
 1時間勉強に費やすといっても結局スマホいじったりして集中力は続かないので短時間で極限集中方式で頑張ってました。

自分の時間を捻出するのにこんなことをやってました。
勉強は大事、でも自分の時間も大事
そのためにはしっかり時間を区切って勉強はやってました。

・まさかの呼び出し?

2~3か月くらいたった辺りですかね、
プリセプターと主任に呼び出しをくらいました。

まじでなんの心当たりもなかったのでビビりながらいくと・・・

「淡々と仕事やっているけど本当に大丈夫?」
「相談とか報告もしてくれないけど問題なくやれてる?」

そうです、私は「ほう・れん・そう」ができなかったんです。
それと新卒看護師とは思えないくらい落ち着いていて、まるで10年選手かのように貫禄があったそうです。

それを気にしてくれたプリセプターと主任は私にそれを教えてくれて、後日飲みにいきました。

そこで「ほう・れん・そう」の大事さを学びました。
でもまあすぐに人間、変われないので徐々に徐々にできるようになり、半年後にはプリセプターから褒めてくれるようになりました。

まじで大事です、「ほう・れん・そう」
良かったら記事にしているので読んでいただけたらと思います。

・新卒ならではの看護

6月くらいのことですかね。
配属された病棟が腎臓内科ということもあって、慢性腎不全患者の透析導入のためにシャント造設を行っていました。

そこで入院してきた1人の患者さんに出会います。

その患者さんは糖尿病ですでに腎臓は機能しておらず、網膜症も発症して盲目でした。
入院した理由ももちろん透析導入のためにシャント造設が目的です。
仮にAさんとします。

物静かな人で、毎日小学生くらいのお孫さんが遊びにきていました。
Aさんはお孫さんが遊びに来ているときは優しい笑顔で過ごしており、それ以外の時は基本的に喋ることもなく、辛いことや不安なことも表出せずにいました。

ある日、Aさんを受け持っているときにお孫さんが面会にきて、
「一緒に折り紙をしたい」と言ってきました。

Aさんは盲目のため、お孫さんのために折り紙することができず、やんわりと断っている様子がありましたが、その時悲しげな顔をしていました。

そのため、受け持ちの私が「私も一緒にやりましょう」と約束し、Aさんもお孫さんも喜んでくれました。

後日、そのような約束をしたことを主任や師長に報告したところ、
「それは業務外だから」「できもしないことを約束してはいけない」
と、きつい言葉をいただきました。

確かに当時の私の判断は浅はかだったかと思います。
それでもその時に見せてくれた笑顔は大事にしたいと思い、主任や師長の反対意見に反発して自分の休日を利用して一緒に折り紙をやってもいいと許可を得ました。

当日、ラウンジで一緒に折り紙をして、Aさんは目が見えないながらもお孫さんに微笑んで、とても充実した時間だったと思います。

梅雨だったので一緒に作りました

それからAさんは、
「本当は(透析をやるのが)怖いんだよね」
と自分の気持ちを表出するようになってくれました。

業務優先の看護師の仕事の中でも、治療とは関係はないかもしれませんが、こういった時間は大切な瞬間だったのではないかと思います。

こういった関わりは学生時代の延長である新卒看護師しかできないことでもあると思いますので、今後入職される人たちへ参考にでもなればと思います。

・衝撃の結末 ある意味看護師人生が変わった

12月頃、まさかの出来事が起こります。

当時の病棟は人手不足で日勤が終わるのに22時過ぎることがざらにありました。
やはりママさんナースの人も多かったため、ここまで残業が多いとあることが起きます。

そう、退職者の続出です。

また1人、また1人とどんどんやめていき、最終的には入職時と比べ半分以下の人員になってしまいました。
1人の先輩からやめる理由を聞いてみると
「え、だってみんなやめるから」
建前でももっといい理由があるでしょうに、そんな理由に衝撃を受けたのを覚えています。

流石に上層部は問題と考え、最終的にはリフォームと称して病棟閉鎖しました。

まだ1年もいないのに病棟閉鎖の当事者になってしまい悲しくなりました。
師長との面談で
「まだ若いから外科病棟に異動していろいろと学んできた方がいい」
と助言をいただき、病棟閉鎖と同時に外科病棟に異動した3月でした。

そして病棟閉鎖する当事者の特権かもしれませんが3週間くらいお休みをいただいたんですよね。
そこで病棟全員の予定を合わして最後の飲み会を開催しました。

まさかの参加率100%、東京の一等地の白金台で参加費は「なし」という最高の飲み会になりました。
病棟閉鎖を1年目から経験するという事態になりましたが、ある意味いい経験をしたのではないかなと今では前向きに考えています。

・おわりに

いかがだったでしょうか。

以上が私の看護師1年目の体験談となります。

また機会があれば2年目の話をしようかなーと考えていますのでよければSNSなどでコメントいただけると嬉しいです。

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(2) こつこつナースのこつナー(@nurse_cda)さん / X

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